NULL値の遊蕩

Debauchery and Dissipation on NULL.

No.17

今疑問なのは


大した事ない(こともないが特に病院が出来ることも点滴して寝かせとくだけしかないので正直病床埋めるだけというコスパの悪い)患者なのに救急車に2回も運んでもらって病院で救命してもらっておいて、
その後自殺しましたはちょっと許されないよな…たたむ
という気持ちがわいていて、

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でもそれでも自死を試みる人はきっといるだろうしいただろうし耐えられなくなる気持ちは自分もその手前だったから多少分かるし

今は減薬も始めてて希死念慮はおさまりつつあるのと、
「困難を解決する為の『前進できる方法』を実行しようと努力する事もできず、
かといって感情面で困難を克服したり諦めたりして受け入れることで苦痛を減らすことも出来ずに、
苦痛から逃避する手段として消極的に死を選びたがっているだけだな」
という自分の状態がわかってしまっていて、

けどたぶんまた何かの困難が降りかかって耐久出来なくなったら希死念慮を持つんだろうし、天気が悪くなったり寒くなったりしたらまた死にたくなるんじゃないかと思う。

そうなった時は私はどうやって折り合いつけるんだろう(救急車を呼んだりして死を回避しようとした事実がある癖に、苦痛を回避する手段として死を選びたがるという自分の過去の判断・行動と矛盾した振る舞いをしていることに)

ということ

救急車を呼んだのは。家族に連絡するのではなくなぜ救急にかけたのか。正確には7119に。
頼れなかったからだ。帰京する直前にあった諍いでもう本当にまいってしまった。このタイミングで頼るのは出来ないと思った。

というか、もう親も還暦近い。明け方3時半頃に脱水症状起こして動けなくなりましたとかで呼び出すのはだめすぎる。


といいつつ結局、病院では大した処置も受けられずグロッキーなまま噴水のように吐いてしまったので母に迎えに来てもらってしまった。本当に情けない。

早くちゃんとしないと。たたむ

ぼやき

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